2016年9月15日木曜日

sudo easy_install tweepyに手こずった話

最近PythonでTwitter APIを組んでいる。
しかしどうせなら使い慣れたマシンでなく、新たに入手したMBAからもコードを書けるようにしようと思った。

先に書いてしまうとsudoを付け忘れただけで30分ほど無為に過ごしてしまった。
だがこの話を呟いたところ思いの外反響があったので、備忘録として書き記すこととする。

■前提

*Mac book Air
*OS10.10.5

PythonでAPIを組むためには、tweepyというライブラリが必要である。
→解決方法:ターミナルから入手する。

■途中経過

macには標準でPython2.7が入っている。
そのため今回はライブラリのインストールを行うことから始まった。

 sudo easy_install tweepy

tweepyを手に入れるには上記コマンドをターミナルから打ち込みさえすれば良い。
しかしここで一つエラーが出た。

ImportError: No module named pip.req

pip.reqというモジュールが入っていないから、tweepyもインポートできませんよと叱られているわけです。
そこでこちらのサイトを参考にして以下のコマンドを打ち込んだ。

curl -kL https://raw.github.com/pypa/pip/master/contrib/get-pip.py | python

このコマンドでも失敗した。
はてどうやってpipをインストールすればよいかなと考えたところで、sudoを付け忘れていることに気づいた。

■対処法

curl -kL https://raw.github.com/pypa/pip/master/contrib/get-pip.py | sudo python

これで問題なくpipがインストールされて、tweepyも冒頭のコマンドから無事にインストールすることができた。

結果として、他マシンで動かしていたAPIのコードをMBAのターミナル上からも動かすことができた。


Pythonで体験する深層学習の勉強会(第一回 8/25)に行ってきた

ブログを書こう書こうと思っていたもののnotアウトプット期間が長いとネタだけが溜まり、「何書くかな〜」と考えてしまう日々が続いた。
で、↑の結果になっているのでこれを書いている(2016.9.14 23:10)時点で獲得票が一番高い「雑な勉強に関するアウトプット」にする。表題と違うのはご愛嬌でお願いしたい。

あとありがたいことに最近色々なジャンルのフォロワーさんが増えたので、合間に注釈を入れます。
これには2点理由があり、一つは平易な物言いをすることにより自分の理解をより深める目的(まあそもそも私自身浅識ではありますが)と、最後にまとめて解説するスタイルが個人的にあまり好きではないからです。
業界ルールより読みやすさを大事にしたい人生。

■Pythonで体験する深層学習の勉強会(第一回 8/25)に行ってきた



興味を持ったきっかけ:単純に周りで機械学習(深層学習)流行っているよね、という話が出ていたから。あと自然言語処理の研究室であったこともあり、その真髄も改めて勉強したいと思ったという理由がある。さらに言えばPythonをもう少しやりたいなと思ったので。

◯機械学習:あることに関する大量のデータを機械に覚えさせ、それらのデータから何かしらのパターン(規則性)を見出し、その結果から将来のパターンを予測させ(アウトプットす)ることです。適用例として、金融市場の動向を予測させることや病気のパターンを見出すといったことに使われています。

◯自然言語処理:PCに扱わせる機械言語に対して、人間が会話や文章に用いるのは自然言語といいます。それら自然言語をPCに扱わせるときの処理のことを言います。

○なんで機械学習が流行ってるの?:理由は色々あるけど主なものとして人口減少しているので、今まで人間がやっていた作業を機械にやらせて楽したいじゃない。というところだと思います。あと世の中の技術動向を描くハイプサイクルを読むのがいいと思います。

○Python:パイソンと読みます。先に書いた自然言語処理を行う上で、よく使われるプログラミング言語の一つです。

詳細な内容に関しては勉強会のページに講義映像とかスライドとかあるのでそちらを参考にした方がいいと思います。
以下、いち参加者視点からのアウトプット


▼数学力の必要さ
数学を最近やっていなかったので、高校程度の積分を忘れていて悲しかった。そこで時間を取られるのは非常に悔しい。

○なぜ数学が必要なのか簡単に書くと、ただでさえ莫大なデータ量から正解に近い一つの予測を導くために、何かしらの関数式を使う必要があります。(極端に言えば100個のデータからパターンを導きだして1にするためには、関数を用いることが有効です。)
そうなると関数式の解き方はもちろん、関数式の作り方も知る必要があります。

▼技術が先か、人間が先か
まずこの話の前提として、フォロワーさんに本講演の発表者&&著作者の浅川先生とお知り合いの人がいたので、事前に色々と教えてもらっていました。
浅川先生は文系出身であり(先生は文学博士)、そのため、技術に対する興味が理系出身とは別の視野をお持ちでおもしろいと聞いていたが、まさしくその通りでした。

浅川先生は講義中に「画像解析が進めば、そのうちバーコードがいらなくなる。だってそうでしょう、機械が商品を見ただけで判別できて値段がわかるんだから。これは流通ならび産業界に大きな革命をもたらします」といった話をしてくれたのですが、私は「なるほどねえ」と感心しました。
技術が何のために使われるのか、何をするために技術を促進させるのか、ここは大きな違いがあると思うんですが、いかがでしょう?
個人的には人間(生活)主体で、技術が副次的についてくる話の持っていき方はわかりやすくて好きです。見習いたいと思いました。

ちなみにこの話を他の人にもしたところ、「いやいや将来的には商品にチップを埋め込み、自動クレジット引き落としで人類は財布を持つ煩わしさから解放されるというのもあるよ」という他の技術の話に発展した。それも気になるところ。


▼懇親会はピザだった
おいしかった。宅配ピザを食べたのは久々だったんですが,耳までふわふわで感動した。
私は他の参加者とはあまり話さなかった方でしたが、やはり皆機械学習とか新しい分野に興味があるのだなあとしみじみ思いました。

あと先生とも話す時間が取れました。フォロワーさんのツテがあったことにより、先生のヒューマン的な話もたくさん聞くことができました。
勉強に対する意欲を分けてもらったと思います。



他にも色々書くことはあるんでしょうが、とりあえず久々のブログなのでここらでご勘弁を。
あまり技術的なことが書けなかったので、次回を書く上での反省とします。

2016年8月14日日曜日

キングスグレイブを観た

初週観客動員数トップ10入りを果たした、キングスグレイブを観てきました。
極力ネタバレがないように書きます。

・観る前

最近は13も途中で積んだ程度には、FFシリーズに関心が薄くなっていた。
理由としては近年のFFはナンバリング以外のスピンオフや派生タイトルも増えて、正直何が何やら感が大きくなっていたこと、単純にコンシューマーゲームをやる環境から遠ざかっていたことがある。

そんな折りにキングスグレイブのニュースが耳に入り、まず旧スクウェアにとっての悪夢を想起した。しかしどうやら評判がよいらしい。
FF15には興味がなかったが(これはハードをまだ購入していないというのもあるが)、とりあえずどんなものか観てみるかという物見遊山的心情だった。
そのためストーリー等は全く調べずに臨んだ。

・シナリオ面

よかった。

まずこの物語の背景として簡単に書くと、機械中心の国と魔法中心の国の二つの国があると思ってほしい。
機械中心の国は魔法中心の国に対して勢力を伸ばしているが、最後の砦部分はクリスタルに守られているためなかなか手が出せなかった。
そこで機械中心の国はクリスタルを手に入れるために様々な策略を練って侵略する。
それに対して抵抗する魔法中心の国の人々を主人公にして描くストーリーである。

まずここまでのくだりでFF6を思いだした。
クリスタル争奪戦は胸が熱い。

さらにこの背景を彩るキャラクターとして個人的に一番よいのは、敵役の一人であるレイヴスだと思った。主人公側である王を憎む動機がいい。
確かにこういう憎み方をする人間がいるよな、と思わず共感してしまうシナリオと演出だったと思う。

あと、バトルシーンに入る前に味方同士で話すシーンはKH2のクラウドとレオンのセリフ回しを思い出した。さすが野末さんシナリオ。
正直なことをいうと、見せ場だとは思うけどもう少し短く話してもいいと思った。話している間に敵から攻撃食らいそうだし。

・映像面

炎上するシーンがたくさんあるのだが、自然な炎だった。画像処理で炎の動きはなかなか難しいと習ったが、非常に見応えがあった。
魔法の演出もなかなか凝っていて面白かった。

街に関しても後述するが「これは都庁がモチーフかな」、「FF7がリメイクされたらこうなりそう」というほど、かなりリアルでありつつもどこかファンタジー感を受けることができて、楽しみながら観ることができた。

人物に関しても、肌の質感であったり皺の入り方など、かなり細部にこだわっていて違和感を受けなかった。ここまで技術は進歩したかーと素直に感心しながら魅入った。

ただ強いて言えば、口の動きとセリフが合っていないところが気になった。
これは先に英語版を作った事情からだとは思うが、見せ場でこれはちょっとキツかった。
裏を返せば、口の動きが気になるほどには表情の出来がいいということなのだが。
あとはオルトロスっぽい敵が出て来たときに、各キャラクターと船がどういう動きをしているのが目が追いつかなかった。

・音楽

KHの下村さんご担当ということで、どんな感じかなーと思ったらFFのイメージが壊れていなかった。
個人的に好きなところは調印式前日で、ニックスとルナフレーナが話すシーンで流れたところ。FFっぽさとKHっぽさがあったと思う。

・声優

豪華でしたね。
ヒロインの声に色々意見があるみたいだけど、個人的にはあれぐらいの熟れていない感じのヒロインでもいいんじゃないかなとは思う。
あと藤原啓治さん好きな人がスクエニ社にいるんだろうなあ。いつもおいしい配役になっている気がする。

・総評価

自動車が走るような発展した都市が近いのに、なぜこんな戦闘に適している広い荒野が近くにあるねんとか、一般市民は一般市民の服なのに、傭兵たちだけどう考えても戦闘に適していない鎖のジャラジャラしたアクセサリーをつけているあたりノムリッシュ節だなあとか、そのへんのチグハグさが妙によかったです。
他にもユニクロとか実際にある企業の看板が随所に見られたり、「あーこれは新宿ですね」、「これはトラヴァースタウン(KH)かな」みたいな街の風景が同居したりと、そのへんの地形面と文化面における矛盾さが、逆にファンタジー感を出しているのが面白かったです。ある意味ファイナルファンタジーのタイトル通り。
言うなればスターウォーズの亜種を観ているイメージでした(褒めてます) OPも眺めのナレーションから入ったあたり、もしかしたらスタッフも意識したのかも。
ゲームのスピンオフからここまでの映像を出せるのはよいと思います。
そして実際にゲームがやりたくなったので、観客にそう思わせられる時点で勝ちかと。

英語版もゲームも楽しみという期待を込めて星3ということで。

・おまけ

帰りにアルトニアに寄りました。

FF7のエアリスのリボンをモチーフにしたストロベリーパフェを頼みました。

スクエニの本拠地近くでポケGo開いたらポケステが。すばらしい。

2016年6月20日月曜日

読書メモ:"幸せな結婚"とは

0.導入

"幸せな結婚をしたいあなたへ"  岩月謙司著 新潮文庫出版(2003)を読んだ.
 きっかけはラボの先輩からこの本を勧められたのだがあいにく貸出中だったため,本棚にあったものを適当に借りたのである.(こうして書いてみるとすごく残念な理由だ)

1.紹介

著者である岩月さんは出版当時香川大学教育学部教授とのことをこの本で知った.
wikiを読むと,出版後はなかなか香ばしい経歴をたどることになったようである.
(ちなみにこの日記を書きだすまでこの経歴のことは知らなかった.)
 
次に,この本のカバー装画は倉田真由美さんである.
私は彼女の漫画を読んだことはないが,西原理恵子さんの"人生一年生"(だったかなあ)という漫画にて,寄稿しているのは読んだことがある.
確か倉田真由美さんから漫画を通して西原理恵子さんに「「賭け麻雀をしましょう」と提案しているのだが,その賭ける対象が「お金はおもしろくないので,負けた方がもう一人子供を産みましょう!」という凄まじい挑発をしていた気がする.

とりあえずとんでもない組み合わせの二人である.

2.内容

2.1.興味深かった内容

例えばこんな記載がある.
「劣等感の強い女性は見下せる男性相手に恋をする」 ,その結論に対して色々と書いているのだがなかなか興味深かった.
著者曰くダメなところがある男性だと,その男性は恋愛が上手でない女性にとって途端に「可愛い小さい男の子」になるため,男性性を感じない生き物となるそうだ.矛盾しているようであるが,その女性においてその男性に対する"男性不信"が消えて付き合えることが可能になると筆者は指摘している.
そしてその女性は,その「ダメな男性」に何かをしてあげたくなるので,男性でありながら男性性を感じない恋人に対してアレコレすることができる.しかしその一方で,男性が自信満々であったり楽しそうであったりすると,途端に愛せなくなる.といった記載があった. そして筆者はその関係性に対して「真っ当な恋愛ではないのでとっとと別れなさい」とバッサリ切り捨てている.

もう一つ興味深かった点として,全うな恋愛ができないのは両親から正しい愛を受け取れなかったからであるという主張を持って論を進めている.
母が娘に対して嫉妬を覚えているがために,知らず知らずのうちに呪いをかけられて「幸せでない選択を続ける」ようになる人間が一定数いる,「愛してくれなかった親に対して,この例のように復讐のごとくつまらない男性とセックスする」といった話が紹介される.
    
この本は終始このような論調で続くのだが,特に統計的な指標も心理実験等を行った記載は全くない.それにも関わらず,妙な説得感と読みやすさ(文章の洗練度)がある.   

2.2.全体的な話

とにかくこの本全体,やたらと「セックス」という単語が使われすぎである.
ひどいところだと見開き2Pで誇張抜きで30回ほど出てくるので,ゲシュタルト崩壊を起こしかけたために最後のQ&Aはいくつか読み飛ばした.

筆者は"「いい恋愛」なら 「いいセックス」ができているはず"という説を終始主張し,「この事実が受け入れられないなら,貴方は両親から全うな愛を受け取っていない現実を受け入れていないだけ.」といった具合に,支持しない読者を痛烈に批判している.

また恋愛のみならず,本の中ではいわゆる"毒親"の存在が,本人の考え方ならびに行動に関して,具体例を挙げてこういった悪影響を起こすことがある.それらに屈しないためにはとにかく人生を楽しめという,そういったメッセージが随所に散らばっている.(そのへんに関しては概ね納得できる)

ここからだけでも率直に書くと,タイトルにある「幸せな結婚」とはだいぶ話のすり替えが起きている.
ただ繰り返すと(当時は)大学教授という役職ゆえか,洗練された(伝わりやすい)言い回しというものを心得ているのか読みやすさは抜群である.

3.総評

幸せな結婚をするためにはいいパートナーを選べ,そのためにはいい恋愛(セックス)をしろ,いい恋愛をするためには人生を楽しむことが大事である,という非常にわかりやすい内容ではあった.

恋愛結婚をしたいと思う男女に関しては,自身ならびにパートナーの精神構造を手っ取り早く理解(または振り返り)するのに少しは役立つ可能性があるとは思う.

ただ個人的には眉唾物の内容もいくつか感じられた.
一つは,ほとんどがデータもなしに筆者の主観のみで語られる.そのため一種の宗教性のような雰囲気すら文章から感じられる.

またこの筆者は結婚において,恋愛を主眼に置きすぎているのである.
それは悪いこととは言わないが,筆者は全うな愛を我が子に育てられない親は親になるべきでなかったと親を批判している.しかしその親が"恋愛を主眼に置いていたからこそ,子に対して全うな愛情を注げなかった"という可能性を排除して論じている部分が気になった.結婚をしたことで築ける家庭に関して,あまりにも触れられていなさすぎるのだ.
幸せな恋愛結婚によってできた夫婦は幸せかもしれないが,果たしてその子供は本当に幸せなのだろうか.
そう感じざるを得ないのは,この本が物理データでなくあくまでも著者が見聞きした話と研究した内容を精査した上での論調で進むのが,一因と考えざるを得なかった.(逆ももちろんあるでしょうが.)

とりあえず「もしかして私の親は毒親なんだろうか。だから全うな恋愛ができないのかな」と疑心を抱えている人にはおすすめかもしれません。

2016年2月29日月曜日

絵画の話・2

こんばんは。卒研は波瀾万丈でしたがなんとか終わりました。
その節は叱咤激励のお言葉を皆様ありがとうございました。

私の研究ですが、芸術絵画に関連するものなので実に多種多様な絵画をリストアップしました。そのまとめ作業は未だ続いているのですが、研究が終わって一つ一つの絵画を眺めると、チョイスしたときとはまた違う感想がこみ上げてきて面白いものです。

というわけで、今回のブログネタは研究に用いた絵画について一つご紹介します。
著作権は切れているので画像掲載しておきます。

___

  題名:Courtesan
 作者: 歌川豊国(2代目)
(参照 wikiart:http://www.wikiart.org/en/utagawa-toyokuni-ii/courtesan#close)

Courtesanとは「高級娼婦」という意味です。
画像参照したwikiartでこの単語をサーチすると他にもなかなか凄まじい絵が……発禁かけてほしい……。

絵画を観ていきますが、ここで注目してほしいのが絵画に書かれている言葉です。
「大黒屋内 蔦之助」とあります。歌舞伎には詳しくありませんが、"だいこくやのつたのすけ"という名跡(みょうせき)があったのだと思われます。
描かれている人物もおそらく歌舞伎役者当人であろうに、題名が「高級娼婦」、

…………どういうこっちゃ。

色々調べてみましたが、この作品が描かれている1820年には既に、幕府は歌舞伎役者における売春行為は禁じているようです。
公には、ですが。

ここで大活躍wiki先生の出番です。
(wikipedia:陰間の項目)

■役者の兼業陰間
歌舞伎は当初は女性が舞台に立つ「女歌舞伎」として発達した。しかしそうした女役者たちは売春を兼ねていたため、江戸町奉行所はこれを風紀を乱すものとして寛永6年(1629年)にいっさいの女性が舞台に立つことを禁止した。するとこんどは女歌舞伎と並行して人気を博していた、元服前の少年による「若衆歌舞伎」が盛んになった。しかし彼らもまた売色を兼ねており、しかも男客を中心に、女客の相手もした。そこで町奉行所は慶安5年(1652年)に若衆歌舞伎も禁止した。

(ね。 禁止されているんですよ。)

ところがこれで江戸の芝居街は火が消えたように閑散としたものになったため、江戸っ子は繰り返し町奉行所に若衆歌舞伎の再開を嘆願した。

(おっ…?)

そこで奉行所は、役者は前髪を落として月代を剃った「野郎頭」にすること、演目は世相を題材とした演劇を中心として音楽や踊りを控える「物真似狂言尽」とすることの2点を条件として、若衆が舞台に立つことを改めて許可した。以後の歌舞伎を「野郎歌舞伎」と呼ぶ。
しかしその後も役者による売色業は廃れることがなく、女性役をつとめる役者・女形はかえってより実際の女性に近い存在になっていった。そして女形にとって、男性に抱かれることは必須の役者修行のひとつと考えられるようになっていった。こうして修行中の女形は結局陰間を兼ねることになり、陰子(かげご)・色子(いろご)などと呼ばれた。舞台に立つようになっても舞台子(ぶたいご)と呼ばれ、芝居の幕が引かれた後の贔屓客の酒の席に招かれて、その色香が衰えるまで盛んに色を売った。

(マジカヨ)

うーん。やはりこの役者もそういうことをしていたのかもしれませんね。
さらに興味深いのが、右上に描かれたおじさんとその脇にある歌です。

奥山に もみぢ踏みわけ なく鹿の声きく時ぞ 秋は悲しき」 

有名な小倉百人一首ですね。
旺文社刊の古語辞典では「奥深い山の中で、散り敷いた紅葉を踏みわけて鳴いている鹿の声を聞くときが、秋はとりわけ悲しく感じられる」と現代訳されています。
しかし、ここで解釈が終わってはもったいないですね。
秋に雄鹿は鳴いて雌鹿を求めて鳴くことから、この歌は遠く離れた恋人や妻に対して想いを寄せる歌としても有名です。(なんで辞書にはここまで載っていないんだろう。この歌でggるとだいたいこの解釈を載せているものですが。)

で、絵画に戻ると「歌舞伎役者の描かれている空間とは違うところにいるおじさんが、恋人である(男性の)歌舞伎役者に想いを寄せる歌を詠んでいる」という、わりと凄まじいモチーフだったことに気づきます。
歌舞伎役者の表情が心無しか硬いのも、気になるところですね。


更に作者である歌川豊国(2代目)も調べてみました。
大活躍wiki先生。(wikipedia:歌川豊国(2代目)参照)

■来歴
初代歌川豊国の門人。名は源蔵、一陽斎、一暎斎、後素亭、満穂庵と号す。文政の初め頃、初代豊国に入門し当初国重(くにしげ)と称したが、のちに豊重(とよしげ)と改めた。

豊国の門人のなかでは若輩で技量も今ひとつであったが、文政7年(1824年)初代豊国の養子となり、初代の没後、翌文政8年(1825年)に二代目歌川豊国を襲名した。実力派の歌川国貞を差し措いてのこの処遇は、歌川派内において何らかの蟠りが生じていた可能性も考慮される。
しかし二代目豊国は忠実に師の画風を受け継いで、堅実な作風の美人画や役者絵、芝居絵を描いた。文政11年(1828年)頃には本郷春木町に住んでおり、後年になって二代目歌川豊国を称した国貞と区別するため「本郷豊国」と呼ばれた。
 
二代目豊国は初代の域を超えず、三代目豊国(国貞)に圧されて不遇な存在であった。二代目豊国の作品のうち、半身像の美人画「風流東姿十二支」は特に優れており、「美人合江戸十景」、「今様姿見」、「吉原八景」、「全盛百人首」などの美人画のシリーズも知られている。晩年の天保4年(1833年)から天保5年(1834年)の頃に、相模国と駿河国の景勝地を描いた風景画「名勝八景」8枚揃も良く知られている。なかでも「大山夜雨」は、丹沢山塊の大山にある大山不動尊を描いた佳作である。しかし天保5年(1834年)頃を境に作品は無くなっている。天保6年(1835年)死去、享年59(34とも)。
弘化元年(1844年)、兄弟子の国貞が豊国の名跡を継いでいるが、なぜか本来は三代目にあたるにもかかわらず、二代目豊国の存在を無視して自らを二代豊国と称し、豊重こと二代目豊国の存在を抹殺したのであった。

要するに、2代目豊国はそこまでの実力派ではなかったものの、初代の流れを堅実に汲んだほどの人ではあると。
しかし、 3代目豊国にあたる国貞なる人物に2代目豊国を名乗られたために存在を抹消されるという、描いているときも死後も不遇な扱いを受けたわけですね。


そんな不遇の人が道ならぬ恋(しかも一方通行かもしれない)の様子を描くあたり、なんともいえない気持ちを味わったこのごろです。

特にオチもなく終わり。


 

2016年1月30日土曜日

ご近所さんのベビーカーがなくなった

こんばんは。最近は卒研ばかりで寝ても覚めても卒研です。
あと先に書くと、今回はタイトル詐欺です。

今日も土曜ながら大学に行くとき、ご近所さんのところの貼り紙が目に入りました。


『ベビーカーを返してください。困っています。返してくれれば大事にはしません。人から盗んだ物にお子さんを乗せて良心が痛みませんか?』


びっくりです。
ここで私の住んでいるところについて簡単に説明します。
よくある団地(集合住宅)ですが、1つの階段入り口(というのかな)ごとに、1~5階それぞれ2部屋ずつ設計されている仕様です。
エレベーターはないので、4階にある我が家は必ず1~3階の人の家の前を通る形で階段を昇降することになります。
ですから、そのご近所さん(2階)の貼り紙もすぐに目に入るんですね。

確かに、いつも定位置にあったベビーカーがないなあとは思っていましたが、そのベビーカーはおとといから2階から3階の階段途中にずっと置いてありました
おとといに大型家具を搬入する途中のトラックを見たので、たぶんその中途半端な場所に移動させられたのだろうなあとは思っていたのですが、どうやら肝心のご家庭に連絡がいっていなかった様子……。
(まあ2階にお住まいだと滅多な用では上の階にわざわざ昇ることもないため、気づかなかったんでしょう。)

ここですぐさま2階の人宅にピンポンして『あのー……おたくのベビーカーは階段途中にあります……』と伝えようと思ったのですが、私も口が下手なのと、昨今は親切も疑われる世の中なので、『あんたがそこに移動させたんじゃないの!?』などと言われて大学に遅刻するのも鬱ですし、今後の我が家におけるご近所付き合いも面倒なことになりそうだと考えたのです。

しかしながら、ずっとベビーカーがないと誤解させるのもいたたまれない話なので、とりあえず一時帰宅して母に伝えることにしました。


私「あのー 、なんか2階の人がベビーカーないって張り紙してるんですが。」
母「ああ、階段途中にあるよね。返しておけば?」
私「それが、 『盗んだものにこどもを乗せないでください』といった誤解が含まれている書き方になっているので、そっと戻すわけにもいかなさそうなのです。」
母「あらら、そうなの。おとといからずっと置いてあったけど、逆に盗難防止に上に置いていたのかと思ってたよ。」
私「うーん、おとといに家具を運ぶトラックが家の前に停まっていたので、たぶん一時移動させたんでしょうかね。」
母「あのとき、階段全体もびしょびしょに濡れていたから、濡れないように移動させたのかもねえ。なるほどねえ。」


そう言うやいなや、母は部屋着のままで出て行ったので、私もとりあえず追いかけることに。
ためらわず2階の人宅をピンポンする母。どうするのと焦る私。


母「こんにちはー!ベビーカーだけど、ずっと上の階段に置いてあるわよ!w」
2階の人「えっ……えっ、えっ!?(一緒に上がる)あっ…!!」
母「たぶんねー、うちの娘が言うに家具を入れていた家があったみたいでwww だから一時のけちゃったんだと思うのwww ね?」
私「(とりあえずうなずく)」
母「私も『どうしてここにあるのかなー。盗難防止で上に置いているのかなー』と思っててすぐに言えなくって、ごめんねーwww」
2階「そうだったんですかー…よかったー……。」


そんな感じの会話だったんですが、母のサバサバした物言いのおかげで2階の人に誤解や不安を与えることなく事実を伝えられ、あーよかったよかったと私も一安心しました。

まあ結局のところベビーカーはなくなっていなかったという話なんですが、、、ちょっと個人的に書き留めておきたいことがその後に起きたのです。


和やかに2階の人と会話が弾む母を見て、「(しかし子の私が口ベタで行動力も弱いのに、どうして母はこんなにうまく安心感に持っていける行動と話し方ができるんだろうなあ)」と思っていたところに、2階さんのお嬢さんたちが玄関まで飛び出てきました。我々の声を聞いて気になったのでしょう。


お嬢さん1(たしか5歳)「ママーっ、ママーっ!!!」
2階さん「あっ、いま大掃除してて笑」
母「あらあら、はいこんにちは笑」
お嬢さん2(たしか1歳)「ママーママーママーママー!!!!」
2階さん「あはは…」
母「はいはいはいはい、見ないうちにたくさん喋れるようになったのねえ笑」
お嬢さん1「こんにちはっ!」
お嬢さん2「ママーっ!!!!」


そのときお嬢さんたちに向ける母の表情が、それはそれは母性愛に満ちたといいますか、まさしく「母の表情」で、実子の私としては何やらこみ上げるものがきました。


それだけなんですがね。
ただベビーカーについて誤解を解くため、颯爽と母がためらいもなく伝えに行ったのも、そういうことなのかなあとぼんやり思いました。
普段はアグレッシブな母で、正直私も話すのに未だにビクビクするところがあるんですが、「この人は、兄と私を育てたおかあさんなんだ」と改めて実感しました。

母の偉大さと慈愛の底なしぶりを見て、感激を伝える代わりに帰りにシュークリーム買っておいたので、明日あたりに食べてくれるはずかなあと。


そんなこんなで親自慢を締めて、卒研作業に戻ります。

2016年1月3日日曜日

正月も終わり

明日から大学です。
特に講義が始まるわけではありませんが、明日から進捗との激しい闘いがまた始まります。

エンディングまで泣かないぞ。


ここでさらっと一週間を振り返ります。なにぶん手帳をまだ買ってないのが辛い。

12月27日(日)進捗を出した。WEOの定期演奏会に行った。
12月28日(月)進捗を出した。とある予定に遅刻した。申し訳ない。
12月29日(火)渋谷に行った。おいしいお寿司とお酒をいただいた。
12月30日(水)中学時代の友人と遊んだ。おいしいごはんを食べた。
12月31日(木)部屋の掃除をした。結構綺麗になった。紅白とのだめを観た。
1月1日(金)研究室に行くついでに初詣しようとしたら混んでて断念した。
       守衛さんとたくさん話した。「明日もまた来てね」と期待された。
       帰りに手芸屋でボタンを買ったがサイズを間違えた。
1月2日(土)進捗を出した。ようやく初詣ができた。おみくじを引いたら大吉だった。
       手芸屋でようやく欲しいサイズのボタンを購入した。
1月3日(日)吉祥寺に行った。
       親から頼まれた調理器具を買ったつもりだったが、間違えた。

こうして書くとドラマ性も何もない一週間ですね。これがいいんでしょう。

2016年1月2日土曜日

絵画の話・1

こんばんは。
年始からいいペースでブログが更新できているので、このペースを崩さないように何か書こうと思い至り、絵画の話でもしようと思います。
絵画の話と言っても描く方ではなく、絵画紹介とその周辺の話をシンプルにわかりやすく書けたらなあと思います。

 ___

 私は美術展に行くと、気に入った絵画のポストカードを1〜4枚は購入する習慣があります。だいたい一枚150円ほどから販売されており、眺めて良し、送っても良しなので気楽な思い出の一つとして重宝しております。

 夏休みには国立新美術館にマグリット展に行った際、そのとき同建物内でルーヴル展も開催されていました。展示自体は長蛇の列だったので諦めましたが、お土産コーナーだけ覗いた際に購入したポストカードとミニポスターを、年末大掃除のときに発見しました。

こちらです。↓(ポストカード)
 
  表情はあどけない少女のそれなのに、乳房が出ていてなんかエロス!
    顔つきは未成熟の少女の顔立ちですが、身体の部分は少女から大人の女性へと変貌していく様を、非常に滑らかなラインで描いており、彼女が纏う衣服の皺もより一層柔らかい印象を与えています。また少女は全体的に淡い色で描かれているのに対して、背景は非常にどんよりした暗い色を用いることで、少女の身体における幼さと成熟した部分が同時に存在する矛盾と、暗い世界にこのような光り輝く少女が存在する世界という2つの矛盾を巧みに描き出していて非常に素晴らしい作品だと思います!

  お土産コーナーにて単純な一目惚れで購入した(※1)ために、あまりこの作者については意識していないことに今更気づいたので、調べたことをまとめます。

   作者:ジャン=バティスト・グルーズ
   タイトル:割れた水瓶
   1771年 油彩/カンヴァス,ルーヴル美術館所蔵

 ポストカードの裏にはこのようにありましたが、wikiで調べるとちょっとタイトルが違う(※2)んですね。wikiでは『こわれた瓶』となっています。

 ジャン=バティスト・グルーズはロココから新古典主義駆け出しの時代に分類されるフランスの画家ということで良さそうです。(※3)
 当時は本人が望まない方向の風俗画で人気だったようですが、晩年以降は新古典主義の流れに乗れなかったため、埋没していった画家だったんですね。
 美について哲学をしたフランスの哲学者・ディドロは『感傷的ではあるものの、道徳的な教訓が強い』グルーズの作品に対して、好意的な批評を残しているそうです。(※4)
 ジャン=バティスト・グルーズの代表作は『村の花嫁』だそうですが、なるほど、ストーリー性が高くて一つのドラマを感じさせられます。画面右側にいる、花嫁の姉の嫉妬心丸出し表情なんて見事に花嫁を的確に睨んでいていい感じです。

 ちなみにロココとか新古典主義とは、簡単に言うと絵画の時代またはスタイルを指す名前です。(このへんは正直語弊がありそうなんですが、海外絵画サイトを見るとstyleになっていて、日本語版wikiを眺めると時代区分での名前になっているんですよね……。現代でも19世紀後半に区分される"印象派"を名乗る画家はいるので、styleの方が正解のような気がしますが、ちょっとお茶を濁しておきます。)
 もう一つ解説しますと、ロココ芸術とは17世紀のバロック芸術に次ぐ新たな時代区分のスタイルです。バロック芸術が豪壮・華麗なものに対して、ロココ芸術は優美・繊細なものが多いというざっくりした境界があるそうですね。(※4)

  機会があればぜひご覧ください。といったところで今日の日記を締めます。


※1: どこに惚れたんでしょう。
※2:wikipedia, ジャン=バティスト・グルーズの欄参照
※3:salvastyle, ジャン=バティスト・グルーズの欄参照
※4:wikipedia, ロココの欄参照

2016年1月1日金曜日

2015年をサラッと振り返る

もう2015年も終わりますね。(※1)
備忘録程度にサラッとひと月ごとに振り返りたいと思います。

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1月.
  お正月からCCさくら原画展にソラマチまで行ったのが印象深いです。美しかった。
  勉強面は最後の専門実験・メディア分析実験が大変でした。
  ペア実験だったものの、ペアが音信不通になり一人でやることになったのですが、そのぶん自分でたくさん勉強したことが結果として自分の中で深い知識となり、今の研究にも活かせていると思います。ペアにはある意味感謝しています。
  あとこの頃から色々な人との出会いの広がりに恵まれたかなと思います。

2月.
   テストが大変だった記憶しかない……。
   あと高校時代の恩師の授業を観るために都心の高校まで行ってきたのですが、いい意味でも(私にとっては)悪い意味でも変わらない恩師の姿を観て、このときから「自分は同じことを10年,20年と続けられるだろうか」と自問するようになったと思います。  

3月.
   のんびりできるかなあと思いきや、研究室顔合わせやら学食テレビを始めるための打ち合わせやらなんやらで、結局月の半分以上は学校に行っていました。今までになくプライベートが削れたなあと思いましたが、今思えばむしろ序の口でしたね……。
   そんな忙しい合間に高校時代の友人たちとディズニーランドに行けたことは最高に嬉しかったです。初めてOnce upon a timeも観られ、その美しさに非常に感激したことをよく覚えています。

4月.
  大変でした。しゅーかつやら学食テレビやら最後の必修授業やら研究室ゼミやらが始まりまして、一気に様々なことをやりました。しかしながらどれもバランスよくやれていた時期だと思います。
  
5月.
   教育実習が始まったことが一番大きかったですね。そのための準備も結構苦労したので……。
  私は母校の高校に行ったのですが、自分の通っていた高校はもうないのだなあーと改めて卒業以降の年月の流れを思いました。自分を教えていた先生はほとんどいなかったですし。
  そんな中で念願の鳥獣戯画を観に上野に行けたのは精神的によかったです。結局前期後期どちらも行けたのはスケジュール的によくやりくりできたと思います。

6月.
   教育実習は他の実習生の人たちと、お互いに支え合いながら非常に充実した気持ちと態度で無事に終わりました。研究授業では、自分が在籍していた頃の元校長先生にもお越しいただけ、最終日には担当クラスの子たちから可愛らしい色紙もいただき、よくやりきったと思います。もちろん自分一人の力ではなく、指導教諭を始めとしたいろいろな人に支えられた結果に得た充実感だと思います。
  しかし余韻に浸る間もなく、ゼミの輪講当番と中間テスト期間が始まり、院進学を反対されて相当にキツかったのもこの頃です。

7月.
   ゼミが相当にキツくて……日記もこの頃真っ白なんですよね。
  あとぼかしますが6Dでは先輩たちから話を聞かなかった方がよかった気もしています。あれからTL荒らしと学食テレビへのモチベダウンに更に輪にかけた気もします。その節は関係ない人たちには申し訳ありませんでした。

8月.
  6Dの話以降で色々キツかった気がします。
   サラっと流しますが、技術と人間性を両立できる人はいないんだな〜といったことについて考え込んでしまった時期でした。あとハムフェアで来場者名簿を観た瞬間に何かが私の中でキレたなと。ありゃないよなと後輩にめちゃくちゃ愚痴りました、すみません。
   でも4D2Uに行ったり友人たちと食事をする機会がこのあたりから増えまして、(嫌なこともありましたが)すごく楽しかったです。

9月.
  ゼミがキツくて……(n回目) 他にも色々ありましたからねえ……。
  中間発表前は2kg増えました。
  あと182chの取材のときは友人樣方、本当にありがとうございましたm(__)m

10月.
  中間発表のおかげで研究到達までの道筋が見えたこと、後期から授業がなくなったことはよかったのですが、6Dで聞いた話がずっと引っかかり、それを背景に学食テレビへのモチベが完全に消えかけたのが大変申し訳なかったなと思います。
  趣味としてはモネ展に行くか行くまいか悩んだんですが、やはり行けてよかったなと。美しいものを眺めて精神的に(ある意味無理やりでも)余裕を持って振る舞うというのも大事だなと思いました。
  そして友人と後輩たちとで開いたドイツモンエナ会が楽しかったです、またやってください。

11月.
  一番の思い出はKHプレミアムシアターに行けたことですね!!!!!超最高でした!!!!
  新作映像やKHの音楽の世界に浸れたことももちろんですが、新たにKHの友達ができてKHという世界を一緒に楽しみに待つことができる人と知り合えたのは、本当に素晴らしい経験でした。本当にありがとうございました。
  調布祭も非常に楽しんで過ごせました。皆さん本当にお疲れさまでした。
  あとスケジュールギリギリの中、六本木にMMAの人たちとイルミネーションに、友人とTDLに行けたのがすごく楽しかったです。また年度切り替え前に何かできたらいいな。

12月.
  卒研が結構キツいスケジュールになっていて、年末ギリギリまでしっちゃかめっちゃかでした、というかこんなブログを打っている暇もない気がします。はは。

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本当はもっと色々あり、それぞれに思うことも当然ありますし、他にもっと発信した方がよさそうなことがあるとは思いつつも、サラッといくという趣旨でこうなりました。(それらについては別の機会に必要に応じて発信できたらいいと思います。)

しかしこうして振り返ると、たくさんの人の縁に恵まれた年であったと思います。
その分、非常に迷惑をかけたことも(私が自覚している以上に)多々あり、それでもよく付き合ってもらえていると思うと低頭と感謝しかないです、はい。

そういった反省も踏まえた2016年の目標諸々はまた別日記に書くとしますが、2015年も本当に皆さんにはお世話になりました。
皆さんの新年がよいものになるよう、僭越ながらお祈り申し上げます。というところで今回の日記も締めたいと思います。


※1:書いているうちにあけました。おめでとうございます。新年も宜しくお願いします。